chuki’s diary

はてなダイアリーからの惰性で残してます。捨てられない症候群です。

沢登りのルートとコンセンサス

今日も沢登りをして遊んだ。
俺的な「沢登り」っちゅうんは「つけられた登山道の枠にハメられず、自由に山を動き回って遊ぶこと」やのぉ。
なので、「沢登り」において「ここを登るのが正しい」とか「ここを登るのは間違っている」とか「正しいルート」とか「間違ったルート」などというものは存在しないと考える。


が、「何人かの人間が一緒に沢登りをする」となると、各人が歩きたい登りたいルートが異なってくる可能性がある。その場合に どうするか。各人が別々のルートを登るのもアリやし、誰かが誰かのルートに合わせるというのもアリやし、お互いが相談して全く別のルートを考えだすのもアリや。
ここで大事になってくるのが、お互いに納得して登るということ。別ルートをいくにせよ、誰かのルートについていくことにするにせよ、納得しないままいくのは間違っている。そんなんオモんないし、消化不良になるしな。
だが、ある程度の距離を移動するとなると、時間は有限なので、何時間もかけて考えたり相談したりするわけにもいかない。極端な話かもしれないが、最悪、じーっとしている間に食料も尽き、死に至ることがあるかもしれない。
ルートを何パターンか考え、それぞれの長所/短所を把握し、その時のメンバー構成/メンバーの志向性なども少しは考慮して 相談するようにしている。あるルートを選んだ後も、そのルートに こだわり過ぎることなく 引き返したほうが良いと思った時には そうするようにしている。(時々そうでない時もあるけどね、しょっちゅうか?!)
が、しかし!、各人が納得しているかというと疑問が残る。
今日の谷の桶側滝の巻きルートでは一人が納得していなかったかもしれない…という感じやった。藪漕ぎが嫌いやったり、とにかく水線の近くを通過したかったり する人にとっては 好感度わるしのルートやった。
その人の行きたいルートがあり、そこを その人が先頭きって登ってくれてロープでも垂らしてくれたなら そのルートを選んだだろうが、人に「おまえが先に行け」というなら、先に行く者の考えを優先して欲しい気がしないでもない。
過去にも似たようなことがあった。T井ちゃん、Oさんと行った白川又川水電取入口〜火吹谷。水量が多く、水線通しに通過できない場所があったので、どこから行くかっちゅう話になったのだが、T井ちゃんと俺の主張するルートが異なった。で、そん時は俺が折れて、T井ちゃんルートに合わせたのだが、なんと、3m程のぼったところで、あとは俺に先に登れ と言う。そっからが核心やんか!!!
んーーー、それなら、さっき俺が言うたルートにしてくれりゃ良かったやん。っとか思っちゃうよねー。まぁあのルートは あれはあれでオモロかったから良かったけど、俺的には少し消化不良を起こしていた。
合意、コンセンサスというのだろうか、それまでの遊びのスタイルが違うと合わせるのが難しいことが多い。普段 一緒に遊んでる相手どおしなら お互いの志向性が分かってくるので、あまり多くを語らなくても済むのだが、たまにしか一緒に行かない人となると、多くを語る必要がある場合があるんやな と感じた。時々、樋上さんと一緒に行かせてもらうと、あの人は特に意識するわけでもなく自然にコンセンサスをとってはるように思う。もちろん時々 そうでない場合もあるけど…。樋上さんのそうゆう部分は大人やなーて思うし、尊敬する。

こうゆう話は沢登りに限らず、仕事とか 誰かとの共同行為に全て関係してくる。
奥が深い。

ふと思い出したのだが、そういや、昔、BBSに「あんたの通ったところはルートが違うよ」なんて親切に書き込んでくださった人が居る。その人にとっては「関西周辺の谷」っちゅう本に"右岸を巻く"、"直登する"などと書いてあるのが「ルート」であり、その本の内容と異なると「ルートが違う」ということになるらしかった。「あっちのほうも登れるんやで」「そっちに行ったら もっと楽にいけるど」「こっち側を登れば、枝谷の滝が よく見えるでー」などということなら話は分かるし、教えて下さって有難うございますとなるのだが、「違う」とか「間違ってる」とか言われると、「それは どうかな」と思てまうこともある。

ま、色々考えることもある、夏の日々。

ルートどりだのコンセンサスだのよりも、あの虻を どないかしてほしい。虻いなけりゃどこでも行ったるわさ?! それと蜂。刺さんといてー、巣ぅを攻撃したりはしないからー。